難聴と認知症
世界的医学誌ランセットは「認知症の40%は予防可能で、そのうち難聴が最大の危険因子」と指摘している。
難聴には加齢が関係していて、年を取れば誰もが難聴となる。大事なのは難聴が及ぼす影響をしっかり認識することである。
慶應病院の発表でも「補聴器を使っていない55人に対し、3年以上補聴器を使っている62人は認知機能が高く、使っていない人では聴力が悪いほど認知機能も低下していた。補聴器が認知機能低下を予防した可能性が高い。」と。
難聴は認知機能に関係するだけではない。人の話が聞き取れず、電話ができず、人との交流が減り孤独に陥りがちになる。会話を楽しんだり家族とテレビを見たりといったことが減れば、生活がつまらなく気持ちが暗くなります。
いかに補聴器を適切なタイミングで取り入れるかがカギとなります。
読書
「灯火親しむべし」という言葉があります。
秋になると涼しくなり夜も長くなるので灯(あかり)の下で読書をするのに適しているという意味です。
最近、学生達を見ていると「ネットで読書」というスタイルが増えています。新聞もまず購読しません。優劣ではないですが私はやはり、列車に乗っても飛行機に乗っても一冊の本を読み、途中でブックマーカー(しおり)をはさむスタイルが一番好きです。
最近、昭和スタイルがどんどん消え去ってゆくのが寂しく思うのは私だけでしょうか?
是非、秋は読書を。
昨日、愛媛マンダリンパイレーツの薬師神社長が、今回、ドラフトで指名された2人の有望選手を連れてきて頂いた。私がマンダリンのチームドクターに指名されている御縁である。
1人はキャッチャーの矢野選手。今治出身で済美高校出身である。強肩が持ち味です。
もう1人は、ピッチャーの廣澤投手。何と身長193cmは、大谷翔平選手と同じ身長との事。この高さから繰り出す球を早く見たいものです。
マンダリン球団は最近、プロからのドラフト指名が続いており、薬師神社長の努力が実っているのを痛切に感じます。
若者達に栄光あれ!
PS.色紙とサインボールを頂きました。感謝です。
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自然の営み
路面電車
「NIKKEI プラス1」に全国の路面電車をアンケート形式で順位をつけていた。
①広島電鉄 ②富山地方鉄道 ③長崎電気軌道 ④江ノ島電鉄 ⑤熊本市交通局 ⑥伊予鉄道 ⑦豊橋鉄道 ⑧函館市企業局 ⑨都電荒川線 ⑩京福電気鉄道(京都府)
私のように松山市に住んでいると欠かせない交通の便と思う。
個人的にいくつかの感想を述べてみたい。
A.江ノ島電鉄は車窓の景色が開けて七里ヶ浜が見えると、あっと息をのみます。江ノ電のために訪れる人も多いです。
B.函館は五稜郭や函館港といった函館の主要観光地を巡ることが出来ます。函館朝市も魅力的です。
C.荒川区三ノ輪から新宿区早稲田までの12.2kmを約1時間かけて結ぶ。三ノ輪には商店街もあり、レトロな雰囲気です。春には線路脇に桜、初夏はバラが咲き壮観です。私が浪人中に住んでいた王子駅前停留場から飛鳥山停留場にかけての急勾配を懸命に進む勇姿もすばらしいです。
是非、数少なくなった路面電車に愛着を持って下さい。
秋祭り
自然の神殿
火山大国・日本には「神殿」と見まちがう柱状節理(ちゅうじょうせつり)がたくさんある。絶景であり名所と言われる所が多い。
「NIKKEIプラス1」に取り上げていた10ケ所の中で私が行ったことのある3ケ所を取り上げたい。
①東尋坊(福井県)
日本一有名な柱状節理。福井県も3月からの新幹線延伸で行きやすくなった。遊覧船で海上から望む景観は圧巻である。沖にある雄島も柱状節理で覆われた島で、橋で歩いて渡れます。近くの三国港は北前船の寄港地として栄えました。
②高千穂峡(宮崎県)
阿蘇山の火砕流によってできた柱状節理の崖が続く中に真名井の滝が流れ落ちる景観はよく写真で見ます。ボート巡りがすばらしい。
③日御碕(ひのみさき)(島根県)
大学生の時に4人組旅行で訪れた懐かしい場所。
ウミネコの繫殖地として国の天然記念物に指定されていて、私もたくさんのウミネコの飛ぶ姿を覚えています。(カモメ属です)。
日本一の高さ(43.65m)を誇る灯台と荒波が織りなす絶景はまた訪れたいものです。愛媛から車で訪れた人も多いです。是非、皆様も。
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ゴルフの想い出
私はゴルフを覚えたのは東医歯大の第1外科に入局してからである。医局は盛んにゴルフをやっていて、先輩のF先生が私をよく指導してくれた。(うまくはならなかったが・・・。)
さて松山で開業してから、親父の発案で私と兄、父の3人と従兄弟3人の6人で(2組)、8月15日と12月31日に必ず集まってゴルフをするようになった。色々なゴルフ場に行った。奥道後、チサン、内子、等々。
さてその中でも今日は想い出深いお話をしたい。
その日は8月15日であった。内子GCに行ったが朝から雨でさっぱりの前半であった。昼食を食べながら「さあ帰るか?」が大半だったが、親父が「この雨はやむ」の鶴の一声で再び後半が始まった。
後半はQueenの1番(ショート)からである。
その当時は他人の前の組がグリーンを避けて我々を待って居てくれた。アイアンを高くあげて「どうぞ打って下さい」の合図。
さて私は2番目に打った。一応、グリーン目がけてまっすぐに飛んだが、ややショート気味に手前に落ちた。それからコロコロとグリーンに乗っていったが、次の瞬間、待っている組から大歓声があがった。「何だろう?」ひょっとして・・・。そして我々全員がグリーンへ向かった。待っている人達が拍手をしてくれた。何とホールインワンだったのだ。カップの中をのぞくと、確かに私のボールであった。
ホールアウトしてから、フロントで「何の樹を植えますか?」と尋ねられ、兄からお金を借りて、ある樹を植えてもらうことになった。
数年前に、ある製薬会社のMRさんが「明日、内子GCに行くんです。」と言うので、訳を話して写真を撮って来てもらった。写真を見ると「昭和59年8月15日」であった。内子GC様には丁寧に管理をしていただいて今では大木となっている。
もう出ることのないホールインワン。
懐かしいゴルフ最大の想い出です。(ちなみに樹のお金は、まだ兄に返済していない。)
孫の陽翔(はると)が10月12日に元気で1才の誕生日を迎えた。
それを祝して10月14日に、ふなやで昼食をいただいた。
少しずつ乳離れをしていて、いくつかの食べやすいおかずを少量ずつ分け与えた。
一升餅も少し支えてやって何とか泣かずに背負えた。
すくすくと育つことを祈っています。
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マツタケ
日経新聞「春秋」から引用してみた。
今回にテーマは「マツタケ」である。どじょうに続いて現代の若者には全く縁がない食材です。
江戸時代には毎年、上州の太田で採れる極上のマツタケを幕府に献上する習わしがあった。
秋の今頃、宿場から宿場へ「御松茸御用」の木札を押し立て江戸城までリレー方式で運んでいったそうだ。
荷籠が宿場に着くと人々は総立ちになって出迎えた。
マツタケーこのキノコはいまも人工栽培のかなわぬ存在である。新宿のデパ地下に岩手県産の1パック5本が何と5万4千円。シダの葉を敷いた籠に収まった様子は、まさしく「御松茸」である。
もともと貴重だった国産マツタケは高度成長期以降、アカマツ林の減少によって、ほとんど口に入らない食材となった。
山林の荒廃や林業の後継者不足も指摘されている。
今は各地でアカマツ林再生の地道な取り組みが続いているという。
さて、私の小学校の時は、山で親父に連れられて、いやと言うほどの採りたてのマツタケを鍋で煮て食べさせられた。
あれは最高のぜいたくだったんだ、としみじみ感じるこの頃である。
尚、写真は兄貴と一緒の写真です。
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