David Seabury(シーバリー)の「自分に負けない生き方」を久しぶりに読んでみた。

「その中に、トラブルを防ぐ7つの原則」があったので紹介したい。

① 自分が努力してもできないと思えることには手を出さない。

② 今の状況を、それがどんなものであるかではなく、どんなものになっていく可能性があるかによって判断すること。

③ トラブルは静かに、ひそかに、信じがたいかたちで絶え間なく成長するものだということを覚えておくこと。

④ 将来的にそれが耐えがたいものになるかもしれない、と見抜く知恵を持つこと。

⑤ トラブルが成長する前に危険なきざしをはねつけるだけの勇気を持つこと。

⑥ 「そんなに深刻なことにはならないでしょう」と言われても信じないこと。

⑦ トラブルがどうしようもなく大きくなってしまった時は、そこから脱けだすための度胸を持つこと。放置しないことです。

①~⑦を是非、参考にして下さい。

 

 

これは馬に汗をかかせるほどの苦労という意味から「骨身を惜しまず人の為に働く」ことを指す故事です。

このような気持ちを起こさせる人が周囲に1人でもいると日々、前向きで張りのある心持ちで生活することができるでしょう。

しかし、こういう人はそう簡単に周りには居ません。

そこまでいかなくても「この人が喜ぶなら全力を尽くそう」とか「この人のようになりたい」という思いを抱ける人なら誰しも1人や2人、周囲にいるのではないでしょうか?尽くしたい人や目標となる人物が居るだけで心が明るくなり気力も沸いてきます。日々の張り合いが生まれ充実した生活を過ごせるものです。

まずは目標となる人を心に決め、その人に一歩でも近づく努力をして下さい。

(追伸)

3月22日(土)に恒例の城山登山を行った。晴天、気温21°と初夏の気候であった。

桜はまだ蕾であり、あと10日後には満開と思われた。岡山、福岡、大阪等から訪れた人達のそれぞれ写真を撮ってあげました。

弁当を食べていたベトナム人に「こんにちは」と声をかけるとお礼に「ラブエール」をくれました。

見た目も「ヤクルト」にそっくりなのに1本10円というキャッチコピーを想い出しました。

 

 

みなさん、何と読みますか?

「しゅんぷうしゅうそう」です。

幕末の儒者・佐藤一斉の残した言志四録(げんしよろく)からです。吉田松陰や勝海舟にも多大な影響を与えました。

春風のような温かさで人に接し、秋霜のような厳しさで自らを粛(つつし)む。

「いわゆる人に優しく自分に厳しく。」

これはなかなか出来るものではなく、だいたい「人にきびしく自分にやさしく」の人が多いです。

この言葉は卒業式にも校長から生徒に贈る言葉としても使われることが多いです。

是非、御理解いただき役立てて下さい。

 

 

正岡子規の俳句に

故郷(ふるさと)や どちらを見ても 山笑う

があります。病床の子規が故郷の松山の春を想って詠んだ俳句です。

「春が来たなあ・・・、今頃、松山は草木が芽吹いて山々が明るくにこやかに笑っているだろうなあ・・・」という意味です。

「山笑う」は春の、夏は「山滴る」、秋は「山粧う」、冬は「山眠る」が季語です。

子規は最後の7年間、東京の根岸で結核の闘病生活をしました。病で苦しみながらも俳句の創作は続けました。

誰でも故郷を想う時、懐かしさで胸がいっぱいになり心身が癒されるのではないでしょうか。

故郷(ふるさと)は良いものです。

 

 

 

 

3月8日(土)の午後に、伊予郡松前町にある福徳泉公園を訪ねてみた。

ホームページで検索すると「泉や川への理解と啓蒙を深めるために治水、利水、親水の働きを遊びを通して体験できる学習型施設の公園」とある。

まずは、前回のひょこたん池公園同様、すごく透明度の高いきれいな池に鯉がたくさん泳いでいた。水の湧き出る松前町である。水には事欠かない。子供用の遊具やベンチ、広場などもあり、またトイレも完備されていて、子供連れにはもってこいである。また多くの鴨や亀もいて癒し度抜群であった。お花見時は盛況だろうなと感じました。3月なので、梅やホトケノザ等も観察出来た。

また所々に魚や植物の絵が設置してあって、名前入りで分かりやすかった。

また4月、桜の季節に訪れたいものです。

 

 

 

 

太古の時代、人類にとって鉄は宇宙からの贈り物だった。様々な武器や道具として以前から使われていた青銅と比べ、ずっと固い未知の物質。遠い空のかなたから飛来した隕鉄(いんてつ)だ。金より高価でエジプトのツタンカーメン王の墓に納められていた短剣も隕鉄製という。

地中に眠る鉄鉱石を精錬できるようになったことで文明は新たな段階に入る。その成果は海を越えて日本に渡り、社会を大きく動かしてきた。水田耕作の暮らしから古墳時代へ、武士の登場を経て鎌倉時代の誕生へ。

司馬遼太郎は随想「この国のかたち」の中で歴史の節目の背景に鉄製品の普及があった、と書いている。

また司馬は「鉄は人間に好奇心を教えた」とも書いている。「鉄」は大事ですね。

(追伸)

明日3月11日は当院の38周年となります。ずっと応援してくれている方々に感謝です。

今後もよろしくお願いします。

当院の前身、後藤田内科医院(家内の実家)の写真と、当院の開院時の写真です。

最後に去年亡くなった実母(享年98才)と平成19年に亡くなった実父(享年87才)の写真です。

 

 

 

 

 

3月は出会いの月でもあり、別れの月でもあります。この3月に長年勤めた職場との別れを迎える人も多いです。

毎年、多くの方が「3月末で会社を辞めますが診察には来ます」と言った会話が多くなります。昭和初期に有名な飛行家のリンドバーグ夫妻が来日した時のことです。

妻のアン・モローは日本語の別れのあいさつである「さようなら」に感銘を受けたといいます。

「さようなら」は「左様ならば」が略されて出来ました。「左様ならば。そういうことであるならば。ほんとうは別れたくはないけど、どうしてもそうならなければいけないのならば」

これが「さようなら」の語源です。

「さようなら」という哀愁を帯びた言葉は、私は若い時から何故か嫌いな言葉ですが・・・。

 

 

寒さの中にも春の気配が感じられるようになりました。

満開の梅に続き桜の開花予報が話題にのぼる季節を迎えます。春キャベツや菜の花、新玉ねぎに加えフキノトウ、タラの芽、ワラビなどの山菜も出てきます。

3日のひな祭りは平安時代の「ひいな遊び」と無病息災を願う「流しびな」の風習が結びついたものとされています。旧暦の3月3日は現在の4月頃にあたり、ちょうど桃の花が見ごろを迎えることから「桃の節句」とも呼ばれます。

中国から伝わった桃の木は古くから邪気を払い長寿をもたらすと信じられてきました。

日本にもその考えが伝わり縁起の良い桃の花をひな祭りの行事に飾るようになったとされています。

 

 

 

いつもの土よう日の午後。今回は伊予市の谷上山(たがみさん)に登った。

ここは伊予市屈指の桜の名所として地元では有名だそうである。皿ヶ峰連峰県立自然公園の西端に位置しています。古来より「田神山」と呼ばれ、五穀豊穣や雨乞いなどを行う農業信仰の対象でした。

「四国の自然100選」に選定されています。

当日は、寒波の影響で観客は私1人。小雪が舞い、とても寒い日でした。ただ途中の山道は桜の木がたくさんあり、桜が咲いたらどんなに美しいだろうか?とわくわくしました。

第二展望台から見た眺望はすばらしく、西には伊予灘が広がり、南東には皿ヶ峰連峰の山々が連なっています。北方には松山市を擁する道後平野が展開しています。あまりに寒く、長居は出来なかったですが、春には再び訪れたい所でした。

(追伸)

是非、御視聴下さい。

 

 

 

 

 

2月16日の日曜日、天気も良く、翌日から寒波という情報から、久しぶりに城山登山を決行した。

登って嬉しかったのは、ツバキカン桜と梅の共演を見れたことです。多くの観光客が訪れ、ある団体客の写真を撮ってあげました。「どちらからですか?」と尋ねると「京都から」と。

ついでに私自身の写真も撮っていただきました。

そのリーダーの方は松山城は3回目だそうですが、こんなに雲一つない青空の松山城を撮れたのは初めてです、と喜んでいました。天気が良くても風がないと青空にはならないようです。景色を堪能して降りかけた所で、一匹の猫が切り株に鎮座していました。とても良い写真が撮れました。

古町口からの登りは傾斜がきつく、ふーふー言いますが、それだけに登った時の感動はひとしおです。

12天守の一つ、松山城を全国にアピールしたいものです。