ロン・ハワード監督の「We Feed people」(食を届ける使命)は非営利団体(WCK)が12年の間にボランティアグループから最も高く評価される人道支援団体に成長する過程を描いた作品です。

現在、戦争、地震や干ばつなど多くの難民が発生しています。難民にとって最も大事なのは、やはり「食」だと私も思います。この映画はトップシェフの救済活動を描いています。ちょうど2月22日の日経「春秋」にも取り上げていました。

スペイン出身のスター料理人、ホセ・アンドレさんが2010年冬、カリブ海でバカンス中にハイチで大地震が発生、直ちに被災地に入りシチューを作った。テレビ番組も持つ一流シェフである。しかし地元の女性達は、この料理はダメで人々が食べたいと思う料理でない、と切り込んだ。現地の人達が慣れ親しんだ味を届けること。それからWCKが創設された。

今年2月6日に起きたトルコ・シリア地震には8つのキッチン、40のレストランやフードトラックを通じて300万食を協力者と調理し配布した。直前までウクライナで支援していた女性シェフの姿や、ポーランドから車で駆けつけたシェフも交り、大鍋でトルコの伝統スープを作ったらしい。

人材を巻き込み食材も現地で調達する。

「料理して空腹の人に配る。それだけで変化を起こす」と。

もう世界は分断をやめて結合しようではないですか。

 

 

3月11日は当院の創立36周年となります。

先代の後藤田公夫先生も喜んでくれると思います。

今後共、宜しくお願い致します。

昨年、12月21日には当院の診察カードナンバーが40,000を達成しました。つまり、4万人の方が1度は当院を受診していただいたことになります。

本当に長い道のりでした。

孫達もお祝いの手紙を送ってくれました。

感謝。

 

(追伸)

下の記事は、ちょうど36年前の開院日の愛媛新聞です。

かなり黄ばんで歴史を感じます。

 

 

 

 

 

 

 

2月13日に急性心不全で亡くなった松本零士さん。85才。

今の若い方も「銀河鉄道999」や「宇宙海賊キャプテンハーロック」など壮大な宇宙を舞台にしたSFの世界を見聞きしている事と思います。

今回は、松本さんが何故、宇宙の世界を描くようになったのかを振り返って調べてみると、辛い話があったのです。実父が、戦争中、南方戦線に赴いて、航空隊のパイロットとして厳しい経験を積んだのです。若い隊員を数多く指導し、特攻の舞台へ送り出しました。しかし皆さん御存知のようにみんな桜と散ってしまいました。

実父は生還しましたが、多くの部下に対して自分が生還したことに自責の念を背負って生き続けました。

きっとお父さんの辛い愚痴を毎日聞いたのだと想像します。そこから地球の嫌な世界を離れて宇宙へと舞台が広がったのです。お父さんが語る空や雲の物語は松本さんの宇宙への思いにつながりました。そんなあわれな父を子供心に「最後のサムライだった」と誇りに思ったとあります。

合掌。

 

 

 

若者が読む人気漫画「ゴールデンカムイ」を知っていますか?

明治時代末期の北海道などを舞台に埋蔵金伝説を追う元陸軍兵とアイヌ民族の少女の冒険を描いた、野田サトルの漫画です。

ファンが俗々とモデルとなった施設を「聖地巡礼」しています。

作品は北海道の歴史や時代背景、アイヌ文化に関する詳しい描写が特徴です。

管理する北海道歴史文化財団よると、52ある建造物のうち33棟が何らかの形で作品中に登場します。人気の高まりを受け、道のアイヌ政策推進局は拡張現実(AR)を使ったスタンプラリーを開始。道内の「ゆかりの地」47ヶ所を訪れるとスマホのアプリで作品のキャラクターのARを入手出来る仕組みになっているそうです。

目指せ、北海道!!

 

 

 

「春は名のみの風の寒さや・・・」がぴったりの今日、この頃。この「早春賦」は日本の歌曲としてあまりにも有名な曲である。

さて梅の花が新聞、TVであちこちでほのかな香りを放っている。

さて日経新聞「春秋」に興味ある記事をみつけた。

梅は中国が原産だ。愛(め)でる風習も含めて中国から伝わった。清朝期に出版された園芸書「秘伝花鏡」には、梅の香りを保存する方法が紹介されている。

開きかけのつぼみを冬の間に切り取り、蝋(ろう)漬けにしておく。夏になってからお湯でそれを戻せば鮮やかに花がほころび芳香が立つ、とある。

なんとも優雅な話である。日本は中国から色々な文化を吸収してきた。無用のエスカレートを避けるべく、物事をうまく処理する言葉で「塩梅」(あんばい)も中国から来た言葉。つき合いの長い日本と中国。うまくやって欲しい。

 

 

 

日経新聞2月6日号の春秋に興味ある記事を見つけたので引用する。

文学紹介者の頭木弘樹さんは30年以上、病のせいでマスクが手放せなかった。常にマスクをしているのは当時、少数派の時代。外出のたびに人の視線を感じた。この頭木さんにとってコロナパンデミックは大転換をもたらした。

マスクをしている人は〇、してない人は✕。正統と異端の完全な逆転。こんなに簡単にひっくり返るものか。

一昨年夏、日刊夕刊のエッセーに記した。

そのあべこべ状態が3年も続いた。

さて政府は5月8日からコロナを「普通の」感染症にすると決めた。マスクは各自の判断と言う。今からライブハウスで外す人と着ける人の間のトラブルや学校現場でもマスクを理由にした差別への懸念が聞こえる。

問題は、この国の悪い特徴である個人の考えよりも多数派を重視すること。少数派が居心地の悪い社会にならないように願っています。

 

 

火薬から生まれた医薬品は多い。

火薬、印刷術、羅針盤は西欧にルネサンスをもたらした三大発明とされているが実はそれらの起源は、いずれも古代中国にある。

火薬、大砲、鉄砲が登場し、戦争の仕方も大いに変わった。特にダイナマイトの誕生は特筆すべきである。1846年、トリノ工科大学のアスカニオ・ソブレロがニトログリセリンを合成した。

スウェーデンのイマニュエル・ノーベルは、この物質の火薬としての可能性に注目して爆薬製造に乗り出した。その子供、アルフレッド・ノーベルはニトログリセリンの安定性を高める研究を進めて「ダイナマイト」を作った。しかしこのニトログリセリンこそが、狭心症の特効薬になるとは誰が予想したでしょうか?

爆薬⇒医療だったのです。

 

 

 

私には今でも交流のある同級生医師も多くいるし又、松山に帰ってきてから知り合った医師も多い。

友人医師の良い所は各人、専門科のスペシャリストになっている所である。

私の患者さんからは特定の科にこだわらず多くの質問が来る。その時にメール等で友人に問合せ出来るのはありがたい。

一番、時代の先端を行っているのは皮膚科。患者さんの患部の写真を撮って写メで送る。大昔なら現像して写真を送っていたのとは雲泥の差。内科、整外、皮膚科、産婦人科等さまざまである。

1年の終わりには例えば九州のO先生には、私はみかんを送り、O先生からは「カキ」(牡蠣)が届く。信州のK先生には、やはりみかん、彼からは信州りんごが届く、といった具合である。

友人は一生、大事にしたいものです。

 

 

 

メガネ業界初の国家資格「眼鏡作製技能士」が2022年に誕生しました。

その目的は眼科医と連携しつつ国民により良いメガネを提供して目の健康を守れるようメガネ製作技術を高めていくことです。

さてメガネなるものは誰により日本に持ち込まれたのでしょう。

一般的には1551年にフランシスコ・ザビエルが周防の戦国大名、大内義隆に献上したのが最初と言われています。「日本西教史」が根拠になっています。だから少なくとも470年以上前からメガネは日本に存在していたわけですね。

メガネは今や伊達眼鏡(だてめがね)として「おしゃれ」のツールにもなっています。

 

(追伸)

孫達の節分です。まりちゃんが幼稚園で作ったようです。

パパ鬼も活躍したそうです。

人格は言葉に表われます。

Aさんは年輩のB氏に何か尋ねるとB氏は必ず「あなたも知っているように」と言ってから的確に答えてくれるのです。

何回も会うたびにその表現が出てくることにAさんは気づきました。

この言葉は、たとえ年下であっても話し相手の人格を尊重する心がにじみでています。

質問のたびに「えっ、そんなことも知らないの?」と、もし言われたら聞く気も失せてしまうでしょう。B氏を尊敬し続けるAさんは「あなたも知っているように」は話し相手の人格をも向上させる言葉だと信じています。

ちょっとした工夫が会話にも大事です。

(追伸)

K君の沖縄宮古島の下地島(17END)の写真です。有名な幻の浜(ユニの浜)を撮った貴重な写真です。

右手奥に滑走路の誘導灯が見えます。尚、「17END」を知らない人のために解説します。滑走路の角度が北を0度とした時に、170度の方向を向いていることと、滑走路識別番号が「17」であり、末端の事を「Runway END」と呼ぶからです。

干潮のタイミングにだけ現れる、幻のビーチです。