7月15日は中元です。

中元は中国の道教が由来で、日本ではお世話になっている人へ品物を贈る「お中元」の風習として根付いています。

中元は中国では神様にお供え物を献上して祝う日とされていました。これが日本に伝来すると、お盆と結びつき亡き人の霊に物を備えて供養するようになりました。

これが夏の挨拶を兼ねて贈り物をする習慣に変化し、それを「お中元」と呼ぶようになりました。

人生を振り返って多くの人に支えられて現在に至っています。

お中元の風習を通してお世話になった人への恩を深めたいものです。

 

 

7月3日に新紙幣が誕生した。もちろん偽造防止が一番の理由である。

7月3日の日経新聞「春秋」に興味ある記事が出たので引用したい。

「耳をそろえてカネを返せ」という耳とは大判小判の縁をさすそうだ。江戸時代、縁を削って金をかすめ取る不届き者がいた。目方の減った小判をつかまされたらたまらない。削り跡がないか、念入りな確認が要る。そんな事情から生まれた言い回しだと言う。

通貨の歴史は偽造の歴史でもある。708年登場の和同開珎は翌年には早くも偽造を禁じる罰則が設けられている。近世には和紙にすかしを入れたり多色で刷ったりした藩札も生まれた。

さて、今回の新紙幣。画像が浮かぶ世界初3Dのホログラムにコピー不可の微細文字。渋沢栄一の肖像は1㎜幅に10本以上の線が描き込まれた。

確かに手に取ってみると最新のテクノロジーに感嘆する。

さて、この際に20年くらい前に親父からもらった旧札を金庫から出してみた。聖徳太子は5000円、10000円札にも登場している。

100円札から10000円札まで並べて眺めていると懐かしさが込みあげてくる。

幼少の折にお年玉を祖父からもらった時に小封筒に入っていたのが、100円札だった。

旧札を眺めるのも感慨深いものがある。

尚、キャッシュレス決済が若者中心に急速に進んでいて、紙幣はこれで最後という話題もあります。

職員に尋ねると、やはり40年間楽しませてくれた1万円札、福沢諭吉(みんなに「ゆきち」と愛された1万円札)が、一番、好きとの事であった。

 

 

 

一生に1回は交通事故を経験すると言われています。皆さんはいかがですか?

私は37年間、交通事故に遭った患者さんを診てきました。何と言っても一番多いのが、信号待ちをしていて追突されたというもの。後方の車はおそらく携帯をいじっていたか、車内のTVを見ていたか、何かを取ろうとして前を見ていなかったか等々。

ほとんどは保険に入っていて保険会社から連絡が入りますが、問題は無保険つまり任意保険に入っていない人。

これは大変な事態になることが多いです。今から20年以上前に松山市内のドクターが横断歩道を渡っていて車にはねられ亡くなった例があります。これは裁判になって加害者は延々と支払いを続ける旨を言い渡されたそうです。無保険者はおそらくお金をケチったか、自分は事故はしないと妄想を抱いているのでしょう。こんな車にはねられたら、たまったものではありません。このブログの読者の方にもきっと苦い経験をお持ちの方が居ると察します。

次に「人身傷害保険」について記します。

これは例えばネコが飛び出してきて避けようとして電信柱に衝突し大破した例。こういう場合に保険会社が治療費を持ってくれます。その他、当て逃げされて相手が見つからない等、かなりの症例が見られます。これは是非、皆さん、加入しておいて下さい。「自分は事故はしない」は妄想です。

次にドライブレコーダーの勧めです。あるタクシーの運転手が青の信号で横断歩道を進んでいたら、老人が飛び出てきて、はねて救急車で搬送され手術になりました。家族は運転手を責めましたがドラレコを警察が解析した所、運転手は無過失が証明され助かったと言っていました。あとで老人は認知症だったようです。是非、自分を守るためにもドラレコは装着して下さい。

最後に、左折巻きこみ事故です。かなりの数で巻きこまれて転倒した主にバイクの方を診ます。皆さん、左折するときにちょうど左を走っているバイクにはなかなか気がつきません。私は曲がるかなり手前からバックミラー、ルームミラーを見ながら左に二輪車が居ないか確認しながら左に寄って準備をしています。

どうか事故を起こさないようにさまざまな注意を払って下さい。

 

 

「日経プラス」から面白い記事を紹介します。

1.「檄を飛ばす」は何を飛ばす?

この意味は人々に自分の考え、主張を訴えること。「檄」は自分の主張を人々に訴えて決起を促す文書。昔、中国で出した木札を意味する。

2.「どんぶり勘定」のどんぶりとは?

収入や支出を帳簿でしっかり管理することなく大ざっぱに金の出し入れを行うこと言う。

職人の腹掛けや胴巻きにつけたポケットを言う。お金の表現は「ない袖は振れない」「金の生る木」「金のわらじで捜す」(この金はすり切れない金属のこと)。などがある。

3.「ろくでもない」のろくとは?

ろくは「陸」と書く。陸は平らなこと、物事が正しいこと、まじめなことを表す。だから「ろくでもない」は、ねうちがない、つまらないこと、である。ろくでもない人を、ろくでなしと言う。

 

 

 

私も患者さんという人間相手の仕事ですが、サラリーマンの多くの方も営業で多くの人とお話をすると思います。

さて話がしやすい人としにくい人がいますが、何が違うのでしょうか?

こちらが話す度に、うなづいてくれる人がいると「分かってくれている」と嬉しくなってついその人にばかり目が入ってしまいます。逆に無反応や無表情の人は不安になるばかりで、会話の気力が失せてしまいます。

私たちの会話は言葉なしでは成立しませんが、体や表情を使ったボディーランゲージも大事です。

そこで気の合わない人には話す相手のリズムで、うなづくことから始めてみて下さい。「うんうん、なるほどね。」と。

これだけでも呼吸が合っていきます。色々なタイプの人が居ますので、是非、勉強してみて下さい。

 

(追伸)

暑い夏ですが、みんな色々な対処をしています。

まりかはプール泳ぎで暑さを取っているようです。

今日もプール帰りです。

 

 

 

 

梅雨の季節の6月。もうすぐ暑い夏がやって来ます。

今年も狂ったような気温の変化に惑わされそうになります。

木々の葉も濃く色づく好ましい季節ですが日々仕事で忙しく過ごしていると心に余裕がなくなり季節の移ろいに対して鈍感になってしまいがちです。

「愛(め)でる」という言葉には美しさを味わい感動する、感心する、ほめる、愛する、かわいがるなどの意味があります。

体に栄養が不可欠のように心にも潤いが必要です。たとえ仕事に追われる日々だとしても少しでも時間を取って周囲を見渡し木々や草花を「愛でる」潤いのある心を持ちたいものです。

 

 

「アンチエイジング」は、見た目の若さの追求以外に健康的で質の高い生活を長く続けるという意味も含まれます。

その栄養素の1つが「亜鉛」です。体内には約2gの亜鉛が存在し200種以上の酵素反応に関与している。亜鉛は皮膚や髪の毛、生殖機能の維持、免疫機能の正常化、さらにストレスの軽減など日常生活の質を高めるために欠かせない。アンチエイジングの「隠れた主役」と言えます。

さてコロナの診察で味覚障害を数多く診療しましたが、これも亜鉛欠乏症になっていて治療しました。

さて「亜鉛の王様」はカキです。その他、レバーやナッツ、豆類などに多く含まれています。

是非、摂取下さい。

(追伸)

今年は梅雨がはっきりしませんが孫の家の紫陽花は今年もきれいに咲いています。

それと、まりかは絵本を読むのがとても大好きです。定期便で絵本のプレゼントをしています。

 

 

 

最近、気がついた日本人の交通マナーについて書いてみたい。

①まりかが来た時に、犬のキー君と散歩に出かけた。「横断歩道を渡るときは右手を大きくあげて渡るんだよ」と改めて注意しておいた。その日も帰りに近付いた時に横断歩道があり、まりかが大きく手をあげながら私と渡ろうとした。右手の方から軽自動車が来て当然、止まるものだと思ったが大きくハンドルを切って止まることなく我々を避けて過ぎ去った。子供にとっては実に悪いマナーの見本例である。明らかな道路交通法違反である。その後、私も何度も、経験した。厳罰に処すべき事例が多発している。

②狭い道路が途中にあり、どうみても私と相手の車がすれ違えない場合に、相手が止まるべき事例に於いて、そのままつっこんで来てしまう。結局、こちらがバックするはめになったが、後ろは渋滞でパニック。こんな経験は皆さん、ないですか?

③信号左折のとき歩行者がゆっくりとメールを打ちながら渡るのによく遭遇する。これは主に学生だが絶対にやめて欲しい。

教習所もこの事例を教習時に是非、教えて欲しい。すみやかな車の流れのために。

(追伸)

私の散歩の御幸は大川沿いに毎年、ジャカランダが美しい紫の花を咲かせます。

ジャカランダは和名が紫雲穆(しうんぼく)と呼ばれ、世界三大花木の一つです。

原産は南アフリカで世界的には南アフリカのケープ半島の群生が有名だそうです。

 

 

昭和世代のどこにも居る会社の上司が患者さんとしてやって来る。

色々な会社の方から「今の若者は・・・」との批判をよく耳にする。

例えば

①忘年会をやるぞ→それって強制ですか? 時間外手当は出るんですか?

②新人研修をした日に→「お先に失礼します」と言わないで帰ってしまう。

③新人の失敗を先輩が解決した→帰りに何も言わずに帰った。

④朝から無断欠勤→ラインで「辞めます」と。

こう言った嘆きを多くの上司、中堅社員(患者さん)から聞くようになりました。若者からすると、帰り際のあいさつはタイパ(タイムパフォーマンス)が悪い、つまり時間の無駄と考える若者がいるそうです。自分は早く帰りたいのに上司や先輩に下手に声をかけると、「仕事は慣れたか?」などと引き留められたり「食事でも」と誘われたら大変、と思うらしい。余計な時間がかかるから、そっとフェードアウトするんだと。

聞いていて、私も昭和世代ですが悲しくなります。昭和は遠くなりにけり。

 

 

母校、医歯大の教養部のある国府台(こうのだい)は歴史的にも古代史に出てくる有名な所である。(詳細は省略)。近くには江戸川が流れ(矢切の渡し)、広い芝生のあるグラウンドで、我々は「国府台牧場」とネーミングしていた。ある教授が一生懸命、ゴルフの素振りやピッチングの練習をしていたのをはっきり覚えている。50年近くも前だから世相ものんびりしたものである。

本部のお茶の水は、東京のどまんなかで便利ではあるが、自然に囲まれたとはとても言い難かった。

さて、本題の友人達である。医歯大は1学年80人の定員で頭文字をアイウエオ順で3分割しA、B、C組に医科も歯科も分かれていた。

私の「オ」は当然、A組でアからキまでの姓の友人達となった。A組は今でも団結が深い。4月、5月はみんな現役以外は東大や京大を落ちた人ばかりで、みんな悔しさのあまり「来年も理Ⅲを再受験する」と息巻く連中が多かった。ある意味、合格の喜びは半分であった。

ある時にA君と友人になり受験の話となった。A君は3浪だが、2浪目は絶対的な自信をもって駿台から臨んでいた。ところが彼には「花粉症」というやっかいな持病があった。(私もであるが)。背水の陣を敷くために朝一番でアレルギー予防薬を服用して家を出た。(試験中にタラタラと鼻水が出ないように。)この薬は当時はポピュラーな「ダンリッチ」であった。ところがダンリッチはよく効く反面、眠気が強いという欠点もあった。A君は1日目の1時限目の試験を解くうちに猛烈な眠気に襲われて何と寝てしまったのである。「はい、やめて」の試験管の大声で目が覚めたが時すでに遅し。かくして3浪が決定したのである。

次にK1君は、数学は天才的だったそうだが、理Ⅲの国語でつまづいて医歯大に入った。4月は一生懸命、翌年の受験に備えて勉学に励んでいた。

こんな訳だからモチベーションのあがらない、4~5月であったが、やがて教養部の「ドイツ語」の授業等にみんな没頭するようになって夏頃には、みんな医歯大の教養部生活を楽しむようになった。

そうしているうちに、私は開成高卒のK2君と大変親しくなった。彼が本屋の息子で旅行の時刻表等もいつでも見れる環境にあったため、時刻表を組み合わせ、私とK2君、さっきの3浪のA君、更にもう1人のK3君と4人組が完成し、春、夏の長期休暇の度に全国を旅行したのも青春の楽しい想い出である。(今のようにパソコンもネットもない時代に列車の時刻表を組み合わせていくK2君はさすが開成卒だと今でも尊敬している。)

回想して強烈に残っているのは函館山からの夜景、小海線から見た八ヶ岳、島根県の出雲大社である。

さて最近の話ですが、浪人の末、某医学部に合格した知人の息子N君に、「とに角、学生の間に旅行をして、そして麻雀も覚えておけ」と偉そうな事を言ったのも、青春の想い出からの懐かしさからである。

(青春篇は今回でおわり)。