「ちはやふる 神代も聞かず 竜田川(たつたがわ)からくれなゐに 水くくるとは」

在原兼平の歌に詠まれるように山野が色づく季節となりました。

日本の紅葉は外国と比べ、広葉樹の種類の豊富さや寒暖の差などの影響により色鮮やかに染まります。

昔から親しまれ、現代でも紅葉狩り(もみじがり)が行われています。

最近、自国に四季が少ない国などからのインバウンドの外国人の姿を多く見ますね。

これから銀杏(いちょう)や金もくせいなどの香りを楽しむなど自然の営みが数多くあり、そこに意識を向けることが大切です。

あわただしい毎日ですが休日には是非、自然の営みに目を移して下さい。

 

 

 

「NIKKEI プラス1」に全国の路面電車をアンケート形式で順位をつけていた。

①広島電鉄 ②富山地方鉄道 ③長崎電気軌道 ④江ノ島電鉄 ⑤熊本市交通局 ⑥伊予鉄道 ⑦豊橋鉄道 ⑧函館市企業局 ⑨都電荒川線 ⑩京福電気鉄道(京都府)

私のように松山市に住んでいると欠かせない交通の便と思う。

個人的にいくつかの感想を述べてみたい。

A.江ノ島電鉄は車窓の景色が開けて七里ヶ浜が見えると、あっと息をのみます。江ノ電のために訪れる人も多いです。

B.函館は五稜郭や函館港といった函館の主要観光地を巡ることが出来ます。函館朝市も魅力的です。

C.荒川区三ノ輪から新宿区早稲田までの12.2kmを約1時間かけて結ぶ。三ノ輪には商店街もあり、レトロな雰囲気です。春には線路脇に桜、初夏はバラが咲き壮観です。私が浪人中に住んでいた王子駅前停留場から飛鳥山停留場にかけての急勾配を懸命に進む勇姿もすばらしいです。

是非、数少なくなった路面電車に愛着を持って下さい。

 

 

 

10月は1年のうちで比較的過ごしやすい季節です。

実りの秋を迎えられたことに感謝し、全国各地で様々な秋祭りが開催されます。

祭りは、もともと神事であり、家内安全、五穀豊穣、疫病退散などを祈るものです。

人々の思いや祈りが形になったのが祭りです。

多くの人と共に祖先や先人の思いや願いに触れ、喜びを分かち合うものです。

 

 

火山大国・日本には「神殿」と見まちがう柱状節理(ちゅうじょうせつり)がたくさんある。絶景であり名所と言われる所が多い。

「NIKKEIプラス1」に取り上げていた10ケ所の中で私が行ったことのある3ケ所を取り上げたい。

①東尋坊(福井県)

日本一有名な柱状節理。福井県も3月からの新幹線延伸で行きやすくなった。遊覧船で海上から望む景観は圧巻である。沖にある雄島も柱状節理で覆われた島で、橋で歩いて渡れます。近くの三国港は北前船の寄港地として栄えました。

②高千穂峡(宮崎県)

阿蘇山の火砕流によってできた柱状節理の崖が続く中に真名井の滝が流れ落ちる景観はよく写真で見ます。ボート巡りがすばらしい。

③日御碕(ひのみさき)(島根県)

大学生の時に4人組旅行で訪れた懐かしい場所。

ウミネコの繫殖地として国の天然記念物に指定されていて、私もたくさんのウミネコの飛ぶ姿を覚えています。(カモメ属です)。

日本一の高さ(43.65m)を誇る灯台と荒波が織りなす絶景はまた訪れたいものです。愛媛から車で訪れた人も多いです。是非、皆様も。

 

 

 

私はゴルフを覚えたのは東医歯大の第1外科に入局してからである。医局は盛んにゴルフをやっていて、先輩のF先生が私をよく指導してくれた。(うまくはならなかったが・・・。)

さて松山で開業してから、親父の発案で私と兄、父の3人と従兄弟3人の6人で(2組)、8月15日と12月31日に必ず集まってゴルフをするようになった。色々なゴルフ場に行った。奥道後、チサン、内子、等々。

さてその中でも今日は想い出深いお話をしたい。

その日は8月15日であった。内子GCに行ったが朝から雨でさっぱりの前半であった。昼食を食べながら「さあ帰るか?」が大半だったが、親父が「この雨はやむ」の鶴の一声で再び後半が始まった。

後半はQueenの1番(ショート)からである。

その当時は他人の前の組がグリーンを避けて我々を待って居てくれた。アイアンを高くあげて「どうぞ打って下さい」の合図。

さて私は2番目に打った。一応、グリーン目がけてまっすぐに飛んだが、ややショート気味に手前に落ちた。それからコロコロとグリーンに乗っていったが、次の瞬間、待っている組から大歓声があがった。「何だろう?」ひょっとして・・・。そして我々全員がグリーンへ向かった。待っている人達が拍手をしてくれた。何とホールインワンだったのだ。カップの中をのぞくと、確かに私のボールであった。

ホールアウトしてから、フロントで「何の樹を植えますか?」と尋ねられ、兄からお金を借りて、ある樹を植えてもらうことになった。

数年前に、ある製薬会社のMRさんが「明日、内子GCに行くんです。」と言うので、訳を話して写真を撮って来てもらった。写真を見ると「昭和59年8月15日」であった。内子GC様には丁寧に管理をしていただいて今では大木となっている。

もう出ることのないホールインワン。

懐かしいゴルフ最大の想い出です。(ちなみに樹のお金は、まだ兄に返済していない。)

(追伸)

孫の陽翔(はると)が10月12日に元気で1才の誕生日を迎えた。

それを祝して10月14日に、ふなやで昼食をいただいた。

少しずつ乳離れをしていて、いくつかの食べやすいおかずを少量ずつ分け与えた。

一升餅も少し支えてやって何とか泣かずに背負えた。

すくすくと育つことを祈っています。

 

 

 

 

日経新聞「春秋」から引用してみた。

今回にテーマは「マツタケ」である。どじょうに続いて現代の若者には全く縁がない食材です。

江戸時代には毎年、上州の太田で採れる極上のマツタケを幕府に献上する習わしがあった。

秋の今頃、宿場から宿場へ「御松茸御用」の木札を押し立て江戸城までリレー方式で運んでいったそうだ。

荷籠が宿場に着くと人々は総立ちになって出迎えた。

マツタケーこのキノコはいまも人工栽培のかなわぬ存在である。新宿のデパ地下に岩手県産の1パック5本が何と5万4千円。シダの葉を敷いた籠に収まった様子は、まさしく「御松茸」である。

もともと貴重だった国産マツタケは高度成長期以降、アカマツ林の減少によって、ほとんど口に入らない食材となった。

山林の荒廃や林業の後継者不足も指摘されている。

今は各地でアカマツ林再生の地道な取り組みが続いているという。

さて、私の小学校の時は、山で親父に連れられて、いやと言うほどの採りたてのマツタケを鍋で煮て食べさせられた。

あれは最高のぜいたくだったんだ、としみじみ感じるこの頃である。

尚、写真は兄貴と一緒の写真です。

 

 

 

 

今年のスポーツの日は、10月14日です。

昭和39年10月10日に東京オリンピックの開会式が行われたことから、昭和41年に体育の日が制定され令和2年からはスポーツの日に改称されて現在に至ります。

最近は、あまり体を動かさなくなったと感じている人も、この機会に興味あるスポーツに取り組んでみて下さい。

出来る限り階段を利用するとか、車でなくて自転車を使うなど体を動かす工夫をしてみて下さい。

体調管理や健康維持は社会人として大切な要件です。

是非、体を動かして下さい。

 

 

 

孫に「ドジョウ」を知っているか?と聞くと、見たことも聞いたこともないと言う。

早速調べてみた。英語のローチ(loach)はドジョウの総称である。

環境省のレッドリストを見ると準絶滅危惧種に指定されている。

おりしも日経新聞春秋に次のような記事があった。

北大路魯山人はこんなふうに書いている。

「美味(うま)くて安くて栄養価があって親しみがあり、家庭でも容易にでき万事文句なしのもの」。柳川鍋を言う。稀代の美食家が礼賛した料理こそが、どじょう鍋。

ささがきゴボウと一緒に煮て卵でとじる。滋養に優れた夏の味覚である。

私も大学で東京に住んでいた時に、よく先輩にどじょう鍋の専門店にお茶の水周辺に連れて行かれた。しかし今や家庭で食べるのは容易ではないようだ。

こうして孫のように、全く知らない世代が増えて、みんなの食習慣から抹消されてしまうのが何とも悲しい。

「昭和よ、もう1度」である。

 

 

最近、現代の若者には考えられない、いくつかの昔の出来事を時々、話したいと思う。

①開業して37年になるが、35年くらい前は、夜によく診てくれと呼ばれ、飲酒運転で何人も診療した。中には、翌日、おばあさんが、「先生、きのうは、お酒飲んでいたのにありがとうございました」とメロンをくれた。きっと、まっ赤な顔だったのだろう。法律のない時代の話である。

②2007年にスマホが誕生する前はポケットベルであった。車に乗っていても不思議に公衆電話は反対車線にあり、よくUターンして電話をしたものだった。一番辛かったのは日よう日に船釣りに行ったときにポケベルが鳴った時。急いで帰ったが、全くたいした用事でなかった。とうとうその日は釣りをやめて帰宅した。

③院内旅行と称して25年間くらいは毎年、2泊3日の旅行をしていた。北は知床、南は沖縄、上海もあった。もうこんな、ぜいたくな旅行は2度とないと思うと昭和は良かったとつくづく思うのである。

④今から20年以上前だろうか?

当院で呼吸器系の困った入院患者が居た。そこで2~3回、電話で知己のあった日赤のO先生に電話して教えてもらった。

するとそれから1時間半ほど経って何と、そのO先生が私の診療所に来てくれた。「自転車で来たので迷いました」と。そしてすぐに患者を2Fから呼んで診察していただいた。

私もであるが患者さんも喜んだのは言うまでもない。医師の善意である。やがてO先生は任期が切れ九州へ帰ったが以来、ずっと連絡を取りながら、特に呼吸器の質問を携帯やメールで教わっている。更には冬には愛媛の紅まどんなを送り、先生からは冬に「カキ」を送ってくれている長い長い付き合いが続いている。

人格、実力共にすぐれた医師であると今でも尊敬してやまない。

 

 

 

 

 

現在、ビジネスの世界で頻繫に見聞きする「モチベーション」という言葉。

「意欲」や「やる気」といった意味で使われます。もとは心理学の用語で、意欲の源となる「動機」を指します。1998年に日本が初出場したサッカーワールドカップの頃から盛んに使われるようになりました。

皆さんにとってモチベーションを高めるものは何でしょうか?生活のため、自身のスキルアップ、難しい仕事をやり遂げる、あるいは周囲からの励ましの言葉など人それぞれにあるでしょう。

大切なのは自分の働きが誰かに喜ばれることを意欲の源泉に出来ること、更には働きの目的が自社の目的や理念と一致していることです。

どうか「モチベーションアップ」が自分だけのためではなく周囲の役に立って欲しいです。