青春の想い出(12)
東医歯大の試験を終わった後、3月末に合格発表があるのだが、まず合格は不可能と考えていた。東京は王子の下宿で同じ浪人生活をしていた山鹿君は歯学部を目指していて、既に新潟大の歯学部(1期校)は合格していたが、本人は東医歯大の歯学部に入りたかったので私と一緒に試験は受けていた。その山鹿君が「越智君、合格発表は僕が東京に残って見に行くから愛媛の自宅電話番号だけ教えて」と言われて、私はさっさと帰郷していた。私は4月の駿台再入学を目指して毎日寝て暮らしていた。3月末のある日の朝、10時くらいに2階で寝ていた私を母親が大声で「やまがという人から電話だよ!」と起こした。正直「なんだろう?」とつぶやきながら電話に出ると、「越智君、合格していたよ。おめでとう」と。あっ、そうか。今日が発表日だったんだ。
その時点では私は何が何でも東大再受験を考えていたので医歯大は断ろうか?と考えた。母親も複雑な顔で「あんたの好きにしたらいい」と。困った私は駿台進路指導の野崎先生に電話した。すると野崎先生が「越智君、来年理Ⅲが絶対に通るという保証はないよ。医歯大も立派な大学なんだから医歯大に行きなさい!」と。私は喜びも半分ながら、従った。親父の働いている所に行って訳を話すと「そうか、良かったな」と一言つぶやいた。本当はすごく肩の荷が下りたはずであるが、あまり、しゃべらない親父であった。
そして、いよいよ4月から東医歯大での生活が始まった。教養部の2年間は千葉県市川市の国府台にあり、そこでさまざまな受験生活をして来た友人と出会うのである。
(つづく)
(追伸)
私事ですが6月2日に実母が亡くなりました。(享年98才)。
当院で私が見送れたのが幸せでした。兄と妹の計3人を精一杯、育ててくれて感謝です。
生前、お付き合いいただいた多くの方々に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。