青春の想い出(7)
4月11日(5)の続きである。
高2の春あたりから親父が、「東京の友達に会いたいものだ」と何回か口走るようになった。親孝行(?)の私は頭にずっとインプットした。
さて、そんな親父が私の幼少の時から話した逸話がある。それは、「広島の原爆にやられていたら、おまえは産まれてなかった」というものである。召集令状(赤紙)が来たあと親父は千葉の連隊に入っていたがある時、山口(?)への移動命令が出て汽車で兵隊が大勢移動した。その日、広島市を通過したら汽車から見える広島の街に何にもなかった。情報に乏しい時代である。「一体これはどうしたんだ!?」とみんな口々に叫んだそうである。そうです。前日に原爆が投下されたのです。当日なら親父は原爆死だったのである。しかし、それより小学生の私には「僕は母ちゃんのおなかから出てきたんだから、父ちゃんがいなくても産まれていたのでは?」とずっと考え込んでいたが、あえて質問することはなかった。
さて高3になって入試過去問題を解いていたら、京大よりも東大の方が私に合っていると思い始めたのである。親父にも東大へ行って観光もさせてやりたいと考え始め、東大の過去問をしきりに研究し始めた。モチベーションをあげるために東京の地図も買って、東京での生活を夢見るようになった。当時を知る受験生には懐かしい旺文社のラジオ講座やZ会の通信添削等、猛烈な勉学に突入したのであった。まさに「目指せ東大」なのであった。
(つづく)