青春の想い出(4)
今回は高校の授業について書いてみたい。
その前に、愛光に入った時より毎日、2時限目と3時限目の間に「中間体操」と言って全校生徒が上半身裸になって校庭を何周もするのである。夏はともかく冬は本当にたまらなかった。今でも想い出すのは、2つ先輩の12期の向井玲二さんが赤尾の豆単(英語の単語集、赤尾好夫著、旺文社)を読みながら走っていたことである。まさに寸暇を惜しむ勉強である。(後に東大理Ⅲ(医学部)に現役で合格した。)。この中間体操も時代の流れでやがて廃止されたのは残念である。
さて私は、以前に語ったように医師か弁護士のうち医師を目指すように高2からなっていた。そして京大の医学部を目指すべくモチベーションをあげようと、京大の校歌を勉強の合い間に聴き、また本屋で買った京都市の地図を見ながら有名な地名の所へ将来行く夢を重ねてモチベーションを上げていた。
御存知の人は多いが、灘、ラサール等と同じく中高一貫の6年生の学校は高2で高3までの授業は終えていたので、高3になってからは入試本番の勉強に明け暮れた。英、数、物理は好きでよく勉強した。
高校からは愛光寮を出て、懐勉をしなくてすんだ。ところが道後の下宿の2階で勉強はしていたものの、ふすまの隣での大家夫婦のいびきの合唱が毎日続き、特に英語の単語が覚えられなくなった。しかたなく風呂場に降りて立ったまま勉強していたが蚊の大群に襲われ、とうとう成績が50番台に落ちてしまった。訳を聞いた母親は別の下宿を道後北代に捜してくれ、今回は静かで大いに勉強に打ち込めた。風呂は今はなき樋又通りの銭湯に通いつめた。そうして高3を迎えたのであった。(つづく)