降圧剤
よく「血圧のクスリは、もうそろそろやめてよいか?」とか「いったいいつまで飲ませるのか?」と質問があります。
さて「高血圧が続くことで動脈硬化に伴う脳梗塞や心筋梗塞などの病気の予防のため」と答えていますが、期間はあまり触れていません。特に60才以上で治療を始めた場合。今年の米医師会の内科専門誌にその「期間」についての臨床データがまとめられました。
解析の結果、病気の予防のためには高血圧の治療を約3年は続けなければいけないことが明らかになりました。特に60才以上での開始は最低でも3年は続ける必要があるそうです。
コロナの夏。孫達は元気かな?と、心配をよそに、蜜を避けて楽しんでいるようです。夏花火と七夕の絵も涼し気ですね。プールも終了間際に行ったようです。
ピアノの発表会もあり、それなりに忙しい夏休みですね。ゆうちゃんは中学生になると制服での発表会だそうです。
長寿への道
千重の一重(ちえのひとえ)
「千重の一重」とは、数多くあるうちのほんの一部分のことを言う。
今日は心理学のお話をします。「返報性の原理」という考え方があります。相手から何かしてもらったり誘ってもらったりした時、自分も何かお返しをしようという感情を自然と抱きます。この心の動きを言います。
親切にされれば自分も親切にしたくなります。
そうやって長い間、友情関係が出来ている人とある日、口論になったとします。
一度は信頼関係を築けた相手だとしたら、この原理を思い出して自分から「信じてみる」余地を考えてみて下さい。
長い間、色々と楽しくつきあってきた行動の「千重の一重」と考えるようになると、違う結論がみえるかも知れません。
一度のすれ違いで破談にするのは、もったいないのではないでしょうか?(追伸)
まりちゃんが南予のフジ絵画展で、なんと最優秀をいただき展示してくれたようです。がんばって将来のピカソに向かって下さい。
久しぶりに運動会で、パパが参加してくれて嬉しそうです。
誕生日
コロナ感染症の後遺症
現在、感染の中心になっているオミクロン株、特にBA2は感染しても多くは重症化しないで軽症で済むと言われ軽視している人が多いです。
しかし甘く考えていると心臓に深刻な事態を招く危険があります。今年2月、米国の「ネイチャーメディシン」にコロナによって心臓や血管の後遺症リスクが高まる可能性を指摘する論文が載りました。
新型コロナにかかった人は重症・軽症にかかわらず発症後1年間に20種類に及ぶ心臓や血管の疾患の発症リスクが高くなっていました。
不整脈、心筋炎、心筋梗塞、脳梗塞、心不全、脳卒中のリスクが全て上昇しています。
ふだんから血管にダメージを与えるような生活習慣の改善を心がけて下さい。また高血圧、糖尿病、高脂血症等の薬は必ず継続服用して下さい。
命を守るためにも「コロナにかかると心臓や血管の疾患リスクが上がる」と意識しておいて下さい。
宇和島の孫達はコロナの事もあり今回はやって来ませんでしたが、仲良い写真を送って来ました。
すくすくと育っているようです。
血液型と病気
新大陸の原住民にO型が多い(70~100%)と言う。もともと新大陸にはマラリアがなかった。それが16世紀にスペイン人によって持ち込まれ、今日では多くの地域がマラリア汚染地帯になっています。しかしその時、同時に持ち込まれた天然痘のほうが大きな影響を及ぼしました。
数十年の間に原住民の9割が亡くなり、インカ帝国やアステカ帝国が滅亡したのです。
さて重症化リスクについての研究ではA型+AB型がB型とO型と比べて9.8倍も重症化しやすいことが分かりました。
新大陸の住民にO型が多いのは、天然痘の大流行の結果のようです。
B型は天然痘に対して生存確率が高かったのですが、マラリアによってその後は淘汰を受けて結果的にO型がもっとも生き残る可能性が大きく、そのまま今日に至っているようです。
インカ帝国滅亡の原因が天然痘だったとは・・・!?
(追伸)
宇和島は天赦園の上り藤。きれいですね。
お友達と一緒です。
食生活
平安時代の主な3大死因は結核、かっけ、皮膚病。かっけは御存知のように食文化に強く影響し、主に栄養失調が原因で発症してしまう病気です。
鎌倉時代になると、玄米を主食とし少ないながらも肉も食べていました。玄米はタンパク質や脂質、食物繊維やビタミンB1など、ほぼ完全栄養食と言っていいです。
しかもこの時代のご飯は蒸して作る「強飯」(こわめし)でとにかく硬い。日本咀しゃく学会が実験した所、鎌倉時代の食事は咀しゃくが2654回、時間は29分かかった。江戸時代になると1465回、22分となった。現代人は620回、11分です。
咀しゃくが多いと唾液が出てウィルスの対策にもなり小児肥満も減る。
現代食はハンバーグやパスタなど、あまり、かむ必要がないため唾液量が減り、さまざまな病気になりやすいようです。
(追伸)
先週、束の間の春休みを利用して、1泊だけ孫達がやってきた。
夜の散歩、参拝等を行った。
中学生になったゆうりは、随分と大人になった。参拝の祈り事を尋ねてみると「ウクライナの人達が早く回復しますように」だった。
コロナが終息してゆっくりと会いたいものです。
孫の悠里
卒業
「卒業」という言葉。
「卒業は学校の規定の全課程を修了すること」とある。幼稚園は卒園となる。
私にとって一番泣けたのは、小学校の気がする。愛光中、高校の高3の時の卒業式は大学入試も控え、感慨にふける暇はなかったし、大学の卒業式も医師国家試験が控えて、これまた感慨はなかった。
小学校の時は、みんなと別れて「松山」の愛光中学へ行かないといけないのも寂しかった理由の一つである。6年間の色々、先生にたたかれたことや、遊び回ったことなどが走馬灯のように想い出されて悲しい気分になった。「仰げば尊し」も、こみ上げるものがあった。
さて、孫のゆうりも3月24日に番城小学校を卒業した。コロナ禍にありながら学校の配慮で歌は歌えたそうで、娘も泣きに泣いたようである。卒業ソングも「栄光の架橋」「道」「さくら」「旅立ちの唄」等、時代の変遷があるが、人生の重要な節目であることは間違いない。
ゆうちゃん、おめでとう。