私はゴルフを覚えたのは東医歯大の第1外科に入局してからである。医局は盛んにゴルフをやっていて、先輩のF先生が私をよく指導してくれた。(うまくはならなかったが・・・。)

さて松山で開業してから、親父の発案で私と兄、父の3人と従兄弟3人の6人で(2組)、8月15日と12月31日に必ず集まってゴルフをするようになった。色々なゴルフ場に行った。奥道後、チサン、内子、等々。

さてその中でも今日は想い出深いお話をしたい。

その日は8月15日であった。内子GCに行ったが朝から雨でさっぱりの前半であった。昼食を食べながら「さあ帰るか?」が大半だったが、親父が「この雨はやむ」の鶴の一声で再び後半が始まった。

後半はQueenの1番(ショート)からである。

その当時は他人の前の組がグリーンを避けて我々を待って居てくれた。アイアンを高くあげて「どうぞ打って下さい」の合図。

さて私は2番目に打った。一応、グリーン目がけてまっすぐに飛んだが、ややショート気味に手前に落ちた。それからコロコロとグリーンに乗っていったが、次の瞬間、待っている組から大歓声があがった。「何だろう?」ひょっとして・・・。そして我々全員がグリーンへ向かった。待っている人達が拍手をしてくれた。何とホールインワンだったのだ。カップの中をのぞくと、確かに私のボールであった。

ホールアウトしてから、フロントで「何の樹を植えますか?」と尋ねられ、兄からお金を借りて、ある樹を植えてもらうことになった。

数年前に、ある製薬会社のMRさんが「明日、内子GCに行くんです。」と言うので、訳を話して写真を撮って来てもらった。写真を見ると「昭和59年8月15日」であった。内子GC様には丁寧に管理をしていただいて今では大木となっている。

もう出ることのないホールインワン。

懐かしいゴルフ最大の想い出です。(ちなみに樹のお金は、まだ兄に返済していない。)

(追伸)

孫の陽翔(はると)が10月12日に元気で1才の誕生日を迎えた。

それを祝して10月14日に、ふなやで昼食をいただいた。

少しずつ乳離れをしていて、いくつかの食べやすいおかずを少量ずつ分け与えた。

一升餅も少し支えてやって何とか泣かずに背負えた。

すくすくと育つことを祈っています。