この年になって、思春期の頃からの想い出を回想するようになった。
今治小学校の在学中、母親から「おまえは医者か弁護士になって欲しい」と言われた。
母親に忠実(?)な私はずっと頭の片隅に入れていた。小4の頃に学校から母親に「邦明君は愛光中学に入れたらどうか?と言われた」と母親から告げられた。
私はその意味が全く分からず「あいこう?」と呪文のように唱えていた。やがて5年生になって、ある先生に愛光中学入試のためのレッスンを受けるようになった。商売人の今治ではこれを塾と言わず「勉強屋」と呼んでいた。この勉強屋は塾生2人で私と、後に今治の放射線第1病院の院長となった木本眞君であった。現在は今治市医師会長をしている。
私は5年、6年生と木本君とは本当によく学びよく遊んだ。そして2人共、愛光学園の入学を無事に果たしたのであった。合格祝いに私、木本君と両家の両親の計6人で夕食会が行われた。木本君の父親のとても嬉しそうに酒を飲んでいる顔が今でも脳裏に焼きついている。
尚、2人のあだ名は「きもにい」「くんにい」であった。(続く)。