今回は中学の授業について書いてみたい。
中2の時の国語の砂田先生の授業で、忘れられないのは壺井栄著の「二十四の瞳」の朗読であった。これが国語力のアップにつながるかは不明だったが、毎回、先生が朗読するのであった。その他、漢文、古文があった。正岡先生の漢文の授業で論語の授業は大変為になり、今でも職員の朝礼で使うこともある。「吾十有五にして学に志す」は今でもまさに15才で漢文を習ったんだなあと懐かしく思い出す。「七十にして心の欲する所に従へども矩(のり)を越えず」は果たして出来ているだろうか?また「吾、日に吾が身を三省す」はすばらしい言葉で、ここから書店「三省堂」が出来たことは有名である。
英語は一番最初に記憶に残ったのは谷後先生の「Station」であった。右手を突き出して「ステイ」、それから左手を突き出して「ション」。今でも右手、左手とやってしまう懐かしい「Station」。それにしても、英語なるものを最初に聞いた時の感想は、江戸時代に信長が異国人と会った時の感想に似ていると今でも想い出す。これが「英語」なるものかと。
中1の一番最初の英、数、国の実力テストが14番だったことで自信がついたのは今でもくっきり覚えている。
さて、言い忘れたが愛光学園は現在の宮西町、フジグランにあったのであり、朝美町の寮からの通学は10分ほどであった。そして途中、予讃線の踏切を渡るのである。ホームシックに当初かかっていた私はこの踏み切りで立ち止まって、汽車に飛び乗れば、今治に帰れるんだなと、「旅愁」を何度も口ずさんだ。「恋しやふるさと なつかし父母」♫♪。(つづく)